功名が辻 を“聴く”

今年も始まった大河ドラマ。毎年、僕は内容云々というよりも、とりあえず音楽に興味を持ってる。NHK大河ドラマはそのふんだんな予算から音楽に金をかけることでも有名だ。おかかえの交響楽団N響)に加え、指揮者やら作曲家やらそれなりのレベルの人物に頼み、国内のTVドラマではおそらく最大級のシンフォニックスコアを作り上げる。

ある年、たしか武蔵だったと思うが、かのエンニオ・モリコーネ夕陽のガンマンとかニュー・シネマ・パラダイスとか言えばわかるだろう。)に武蔵における精神性はマカロニウェスタンのそれと通ずるというプロデューサーの判断からオファーをしたことがあった。結局、モリコーネマカロニウエスタンというよりも、武蔵の精神世界を描いた方がいいのではと提案し、あのカタチになったわけだが。(彼が西洋音楽的アプローチで全編を埋めたというのは賛否両論があろうが、個人的には賞賛を送りたい。)

そして今年は、小六禮次郎担当。俺は「決戦」しか思い当たらない人だったので、期待も不安もなく聴いた。

で、感想。


・・・・・・。


どうなんだろこれ。日本風の旋律がすばらしいよ!!っていうレヴューも拝見したんですが、何が日本で何が西洋って語れるほど知識がないので、それはおいといて、しかしこの曲の打ち込みの入れ方はなんてセンスがないんだろうと思った。

序盤はまだ「あぁ先進性を持たせようとがんばっているのねうんうん。」という感じだが、中盤(NHK大河ドラマのメインテーマは中盤になると第2主題がでてきたりして展開が変わる。)になると、もはやコメントさえしたくなくなる。せっかくフルオケで演奏しているのに、打ち込みがそれを全部つぶしてしまっている印象さえ受けた。

ハリウッドではこうしたオケに打ち込みを重ねるというアイディアはジェリー・ゴールドスミス(アクセントとして使用)、ヴァンゲリス(シンセメインでオケはシンセの補助)、ハンス・ジマー(どっちもメイン)などによってその道が完成されつつあり、もはやシンセは使ってなんぼという時代が来ていると言ってしまっていい。(これには賛否両論あるが。)クラシック趣向のジョン・ウィリアムズでさえも最近は打ち込みに手を出しているほどだ。

バック・トゥ・ザ・フューチャー」のアラン・シルベストリは監督のヤン・デ・ボンの要請で初めて「トゥームレイダー2」においてオケに大々的にシンセの打ち込みを取り入れた。(彼は後に「ヤンはまるでロックミュージシャンのようだったよ。」とコメントしている。)最初こそ不慣れであったものの、スコアを作曲しているうちに徐々に自分のモノにしていき、最終的には完全に彼の音になっていた。次作の「ヴァン・ヘルシング」では完全に使いこなしていてなかなかの佳作のスコアを聴かせてくれた。

初心者のシルベストリとこの大河の曲を比べたとき、大河の曲は圧倒的に下回る。もちろんオーケストレイターがついていなかったりと言った不利な要素があることは認めるが、しかしこれは才能の差と言ってしまう他ないと思うのはきっと僕だけではないはずだ。


個人的には「秀吉」と「徳川三代葵」が最も印象に残っているかなぁ。。。


とにかくがんばってほしい、日本のオーケストラ界。