マジックに見る人間性

チラリズムは興奮するけど、しかし同時に気持ち悪いのだ。もっと見たいのに、見せてくれないその意地悪さにドSである僕は狂気に落ちるのである。できるものなら自らの手で全てをひっぺがしその中にある何かを露呈させてたいものだが社会通念というものが僕の欲求を妨害する。えてして僕はチラリズムには不戦敗の日々を繰り返しているのである。

こうして日々の暮らしを送るようになって早10年。僕にとっての最大の敵が待ち受けていたのだ。先日放送のフジテレビでのセロとかいう方のマジックを見てとんでもなく、なんというか、なんとも言えない敗北感を味わったのである。

いや、彼のマジックはすごいよ。すばらしい。多少演出過多な気もしなくもないけど、それを差し引いてもすごい。彼の発想と演出力があって、大規模なものに挑戦すれば(てかしてんのかな)、もしかしたらデビット・カッパーフィールドでさえも凌駕するかもしれない。

セロのことを一通りほめてはみたものの、実はこんなこと関係なくって、話題を元に戻すと、それは僕の敗北感についてだが、華麗なマジックをやられたからというよりも、ネタを明かされないことに僕はなんとも度し難い気持ちを持ったのである。

マジックなんて犯人が最後まで明かされずに終わる推理小説のようなものだ。

僕はテレビにかじりつく両親にこう吐き捨てて、自分の部屋へと退散したのだった。


マジックを見てなんとも形容しがたい気持ちに陥るのはまさに上記のことが原因であって、つまりは何かの事象を見たときにそれからの驚き感動よりもどのようにして起こったのかという分析をしたくなってしまう性癖があるらしいのだ、僕に。いや、映画とか見てこれってどうやって撮ったんだ、とかショーとか見てこれいくらかけたんだよとかそういうヤボなことなんかじゃなくって、とにかくオチを見せてくれないとそわそわしてやってやられなくなるのである。特にマジックや推理小説なんかはオチがわかってなんぼ的な空気が自分の中で勝手に流れて勝負したくなるので都合が悪い。無邪気にスゴーイスゴーイとか喜んでるやつらが非常に低俗に見える。ま、実際は楽しんだモン勝ちなので俺が低俗なのは言うまでもないことだが、しかし許せないのだよ。


セロは言う。

Don't think. Just feel.



ごめん、僕にはムリだ。