いまさらながらのアカデミー賞

クラッシュおめ。
これで注目されてくれれば何よりだけど、たぶん注目されねえーんだろうな。この映画にクラッシュできないなんて、もったいないよ。こないだ2回目を見たけど(またも一人で)、いい映画っていうのは、見るたびにその映画を見てるときの感情・考えが変わってくるもんで、クラッシュも例外ではなく、感情どころか泣き所も変わっていたよ。

アカデミー賞のネタとしながらもまたクラッシュのレヴューになってしまうところが、なんとも僕のクラッシュへの愛を理解できる部分なのではないかと思うけど、何度見てもクラッシュはすごい。すごいとしか表現できないあたりが、おじさまおばさまに言わせると今の若者って言語表現能力が陳腐なのね、ってことになるんだろうけど、しかし君たち、じゃあクラッシュをどう言葉で表現するよ。

クラッシュは言葉で表現できない思いがこみ上げてくる。人種差別主義の警官もしかり、黒人であるが故に不当な扱いを受ける鍵屋もしかり。こんなん、ステレオタイプすぎると言われればそれまでになってしまうけど、ステレオタイプが前提でなければこの映画は成立しなかった。確実に。

この映画は現実を描いたのかと言われると、僕は少し同意をしかねる部分がある。クラッシュは寓話なんじゃないか。だからこそのステレオタイプなんだと言われれば、道理が通る。

ステレオタイプ同士がクラッシュすることによって生まれる物語、動き出す歯車。それが動いたことによって未来はどうなるかなんてわかんないけど、でも、良くなる未来だってきっとある。だから人間は人とのクラッシュを望む。これこそがクラッシュという映画だ。

僕の明日はわかんないけど、とりあえずクラッシュすれば何かが始まり、何かが終わる。クラッシュして何が起こるかなんてわからない。でもそうすることによって新しい何かにつながるかもしれない。この明日への希望を感じさせるクラッシュは、僕にとって単なる映画ではなく、とてつもなく重要な一本なのだよ。

「(前略)面白かったと言われる映画ではなく、強く何かを感じて、その感情について誰かと話したいと思ってくれたなら、この映画は成功したと言えるね」ポール・ハギス クラッシュ監督/脚本(引用元:http://www.eiga.com

あなたに一生ついて行きます。