もう一度冷静になって思い返す。

昨日の感想はレイト最終を見て帰った直後に書いたもの。
そして今は26日の夜。つまり見てから約1日たって、冷静になって思い返すと、やぱりよかった。(おい
でもでもでもでもでも・・!!!
音楽がなぁ・・・・。

ジョン・ウィリアムズワグネリアンですから、ライトモチーフという手法(簡単に言うと各キャラクターなどに固有のメロディをつけるということ。)を好みます。
前3部作でも「帝国のテーマ」やら「皇帝のテーマ」やら「ルークのテーマ」というのを見かけたことがある方もいらっしゃると思います。
最近で言うと、ロード・オブ・ザ・リングは典型的なライトモチーフを使った構成になってて、またそのどれも印象的で使う場面も適切だったため巧く機能していました。例えばローハンなんかはあの弦の音が聞こえただけで「あ、ローハンのことをこれからやるんだな」とわかるし、主要メンバーが活躍するときは「指輪の仲間」のテーマがヒロイックに流れることでその活躍がすぐにわかります。そして何より私が一番感動したのは、モルドール陥落のシーンに「モルドールのテーマ」の長調ヴァージョンが流れたことでした。マイナーで編曲、つまり怪しい感じだとか、悪な感じを醸し出す編曲が、その崩壊を以ってメジャーに転調するとはストーリー的にも音楽的にも整合性があり、善の勝利を音楽的に高らかに表現していると言えます。つまりロード・オブ・ザ・リングの音楽的な感動は綿密に計算された、しかも3部作の1作目から既に用意されていた、感動だったわけです。

逆に20世紀後半の映画音楽界の2大巨頭の一人であるジェリーゴールドスミスはこうした手法をとらないで、なるべくテーマの数を絞って楽曲を構成しました。なぜかというと。。。と話し出すと長くなるのでそれはまた今度に。私がよく見る以下のページではこれについて詳しく解説されています。このページは私に映画音楽とはなんたるかを教えてくれた素晴らしいページです。興味ある方はご覧になってください。(私自身はROMなのだけれども)
Film&Music Notebookさん

(因みに現在、東京ディズニーシーで行われているブラヴィッシーモ!というショーがありますが、これの楽曲はワンテーマでありながらライトモチーフ的手法を巧く使っていて、両者の特徴、いいところを巧く融合させたなかなか秀逸な作品だと思います。これについてはまたじっくりショーの内容も含めて書きます。あまりに正当な評価が少ない現状に呆れてます。)

で、そのライトモチーフなんですが、今回の新3部作では全く活きていません。エピソード1で作られていた「アナキンのテーマ」はどこにいったのでしょう?このテーマは確かに幼さを感じさせる楽曲であり、大人になったアナキンには適切ではないかもしれませんが、アナキンの純粋さとダークサイドに陥りそうな危うさというアナキンの2つの特質を巧く表現していた楽曲でした。2でいきなりでてきた恋愛のテーマだって、それとなくそのモチーフを1に流していたら感動はさらに高まったはずです。エピソード1で流れていた「運命の闘い」はどこにいったのでしょう?アナキンが母親を探すシーンにつけられていましたが、それがアナキンにとって運命の闘いなのかと聞かれれば全体から見ると運命じゃないはずです。もっと「運命な」シーンはあったはずです。それこそオビ=ワンとアナキンの闘いは最も運命な闘いじゃないんでしょうかね。たしかに付けられてはいましたけどね、申し訳程度に。ああもったいない。ジェダイのモチーフも帝国のモチーフ(帝国がまだ誕生していないのに)も余計なところにいっぱい付いてました。これらはここぞというシーンでつけなければ意味がないのに・・・。

いろいろ言いましたが、最後のシーンで涙したのは考えてみればそれは音楽の力でした。(でもそれは旧3部作で作られたモチーフです。今回のモチーフではありません。)
ここまで書いてみて思ったんですが、モチーフによる感動は如何に前フリを巧くやっていくかにある気がします。そう考えると最後のシーンは20年以上前からのフリが華麗に決まった瞬間でした。だから感動したわけです。ライトモチーフ以外でこうした感動を得るのは難しいでしょう。これが全てのシーンで華麗に決まっていればと思うと悔やまざるを得ません。そうしたら最高の作品に近づいていただろうに・・・。