エンターテイメント路線からアート路線への変更は単なるネタ切れなのか

この記事。

http://www.watch.impress.co.jp/av/docs/20051117/buyd196.htm

「週刊買っとけDVD」
ハウルの動く城レビュー〜

・・・・それにしても、押井守しかり、大友克洋しかり、成功した日本のアニメクリエイターは、成功後、ライトな観客を拒絶するような、難解で内向的な小道に迷い込まずいられないのは何故だろうか? もともと外交的でないのかもしれないが……。・・・・

なるほど。特に注目したのはこの記述。

・・・・成功後、ライトな観客を拒絶するような、難解で内向的な小道に迷い・・・・

これらのクリエーターのアニメは全く見たことないので、この記述の真偽にはコメントできませんけど、これはアニメクリエーターだけでなくどのクリエーターにも共通する話だ。最初から目指しているならまだしも、地位と名誉が確保された状態でゲイジュツとやらに手を出し始める輩が多くいる。エンターテイメントで売れたのであれば、そのクリエーターはゲイジュツ分野で評価されているわけではないので、そんな分野に自信を持って手を出すのはとんだ勘違いだ。

個人的にはそんなクリエーターが大嫌い。というか、お前は何様なんだと、さんざん言いたい気持ちになりましたよ。そんな時ふと思いました。なんでこんな風に変わってしまうんだろう、と。ところが、です。自分がクリエイティブに関わるようになって以来。。。

今までの映画レヴューを見ればわかると思いますけど、私は完全なエンターテイメント派です。アートは好きではありません。とことん観客に媚を売るのが好きです。

で、さっきの自分の話。自分の学校の文化祭で2年連続で最後を飾るショーを担当しました。1年目は特殊効果を使ったステージショー。2年目は大規模な花火ショー。

1年目はと言うと右も左もわからない状態で作ったので、ツメが甘い部分があったり自分的に納得がいかないところがあったりと不満を残したデキでした。観客はそれなりに歓声あげてましたけどね。

そして2年目。自分が持っているネタの中でその会場でできること全てをつぎこみました。前年度の反省も全て活かしました。現実的に考えられる予算を全てかけました。演出もものすごくあざとい。ひたすらに観客の琴線を刺激するように作った。デキはもちろん多少の不満があるものの現実的に見ればこれが限界、というデキ。観客も前年度とは比べ物にならないほどの歓声を上げ、評判も上々。やりきった感がヒジョーにあります。

やりきった感が出たところでもちろん次への創作意欲は止まりません。成功体験は人を虜にします。どんなことがここでできるのだろう、と必死に考えます。しかしある意味で、なんだか調子こいた発言になりますけど、自分の学校の夜のエンターテイメントの頂点は極めたと思う。あれ以上のものを同じ形式で作るには予算を増やす以外に道がない。音楽をふんだんに使ったんですが、音楽も知る限りの最高の音楽を使ってしまい、さらに編集もできる限りで最高のことをやった。また、今回やった形式はエンターテイメントな花火をやる上で最もシンプルでかつ感動させられる形式である、とやった後に確信した。

ということは同じ場所で花火をやるのであれば同じ形式では超えられないのだから形式を変えなければならない→しかしその形式はエンターテイメント花火の中では最高のもの→したがってエンターテイメントの道を捨てなければならない。という論理展開が私の頭の中で瞬時に展開されて以来、私の思いつく演出・ストーリー・形式は難解かつ複雑なものばかり。一度、生命の神秘に挑戦しようとした自分がいましたよ。びっくりですわ。

これでわかりました。エンターテイメント路線でいながらもゲイジュツ路線に移った人ってのは全てではないですけれど、自分の作風というヤツに限界を覚えている可能性がある。自分がやってきた作風、それはエンターテイメント分野で自分が最高であると確信しているやり方です。つまりそれ以上のモノはそれの延長線上でしかない。したがって、それの延長戦の先にゴールが見えてしまうと次には道を変えるしかなくなり、複雑なアート路線に転向せざるを得ない。これが結論な気がします。

たぶん、頂点を極めた人にしか本当のことはわからないんだろうけど、さっきの記述が正しいとするならば(繰り返しますけど見たことないから真偽はわからない。)押井守大友克洋宮崎駿も頂点を極めたし、何かを見たんじゃないんでしょうか。それで難解な路線への変更、というならとても納得できます、個人的に。

一方で佐藤雅彦というクリエーターがいます。彼はCM業界からゲーム業界などなどあらゆるメディアを渡り歩いてきました。彼の作風はどれを見ても一貫されているしエンターテイメントです。彼も成功を収めているから難解なアート分野に転向してもおかしくないはず。しかし、転向しない。佐藤雅彦の取った手法はゴールが見えたとき同じ業界でチャレンジするのではなく、違う業界で新たなチャレンジを始めることだった。なるほど、こうすればアートに陥らなくて良いのか。

どっちを取るか。それは人によると思うけれど、個人的には佐藤雅彦のようにありたい。つまり私は自分の学校でのライブエンターテイメントの道から離れるということなのです。