クラッシュを見る。
エンドロール中に、最近見た映画が全て色あせていったことに気づいた。
まぁまぁかなって思ったり、なかなか興奮したり、クソだったり様々な映画にクラッシュ(出会い)したわけだけど、そのどれもがどうでもよくなった。ミュンヘンでさえも。
クラッシュはそれくらいにパワーがある作品だった。
なんだか、この映画の場合、多くを語れば語るほどその魅力が失われていく気がして、どうレヴューを書いていいものかとても悩む。(映画として語るだけではおさまらない気がするので今度感じたことでも書いてみようと思う。)
一つ確実にいえることは、この作品のディレクターかつライターであるポール・ハギスはとんでもなく論理的構成に長けているということである。
それはかのエイリアスをも軽く超える卓越した構成力だ。
有頂天ホテルでは三谷幸喜が「キャラクターごとのタイムラインを作って各キャラクターの居場所を確認しながら書いた。」と語っているが、おそらくこのクラッシュもそのように書いているはず。
しかし、クラッシュのすごいところはただそれだけにとどまらないことだ。有頂天ホテルなんか比較の対象にも値しない。
クラッシュでは10人ほどのキャラクターが登場し、それぞれの人生を生きているが、彼らがクラッシュする(出会う)ことによって話が進む。いわゆるグランドホテル形式ではエピソードが独立しているわけだけど、クラッシュの場合はその全てが独立しておらず何かに必ず関わってくる。つまり、話が重層的に、そして複雑に絡み合っていく。その様はドラマに圧倒的なパワーをもたらし、ついにはノックダウンされてしまった。
こんなものかける人が今のハリウッドにいたなんて、まったくの驚きだ。
マーク・アイシャムの音楽も理想的。クラッシュの持つなんだか退廃的で無力な世界観と、ポール・ハギスが見せる明日への希望が巧く合わさった曲を作ることに成功している。また、静かだけれど強いパワーのあるドラマを静かにサポートし、ドラマの力を強めている。完璧。
途中から、僕の頬にはひたすら涙がつたっていた。