21歳になって気付いたいくつかの事柄。

気付いたら僕はもう21歳になっていた。極端なことを言えば、これで死ぬまでまた1年近づいたということだ。

ほんの少し前まで小学生をやっていた記憶があるにも関わらず、しかし時は残酷にも僕に21歳という現実をつきつけてきた。

20代になった去年、時の経過を恨んだことを思い出した。20年も生きてしまった。僕の20年はいろいろなことがあったし、忘れられないことや忘れたいことや忘れてしまったことや様々なことが今の僕を形作っているわけだけど、しかしそれらも含めて一つの区切りとも言える10代の終わりと20代の始まりに僕はなんだか絶望した。

そして21歳を迎えて思ったことは、もうもがいてもしょうがないということである。絶望から諦観に思いが変わったといえばわかりやすいか。絶望は一抹の希望があることを示唆するが、諦観はそこには何も残っていない。残っているのはただの僕だ。

これから何年生きるかわからないけど、これの繰り返しでしかないかと思うと退屈で先が思いやられる。たまに聞く話で、老いを防ぐために自殺をしてしまう人がいるけれど、それを初めて聞いたとき僕は当時高校生で何もわからなかったが、今となってはなんだかそれも理解できる気がする。死んでしまえばその瞬間にその時点での存在が永遠になるわけだ。

誕生日にこいつは何暗いこと書いているんだと思われるかもしれないけど、いや年を取るということはこうまで暗くなってしまうような辛い体験だろうと思う。心の底からそう思う。葬式こそが、本当のお祝い事なのではないことかんぐってしまうくらいだ。(僕の葬式はぜひオリンピックの開会式ばりにやってほしいものだ。)


一応、誕生日ということで、抱負とやらを書いておきたい。


一つ、今までを忘れる。

今までを忘れて年をとったことも忘れる。そうすればなんだか楽しく生きていける気がするけど、また来年この日に絶望するんだろうな。しかし、おいしい思いをしてしまった20歳であり、全部リセットしないとどうにも前に進めないと思うので、これは真剣に今までを捨てて歩んで生きたい。


一つ、今を楽しむ。

思えば就活が始まる年である。今まで先のことばかり考えながら生きてきたけど、就活が始まるまでのほんの少しのモラトリアムは珍しく今を考えて、刹那的に生きてみたい。刹那的な楽しみなど虚しいけど、でもただ年をとっていくしかない未来しか考えないのもまた虚しい。だからといって未来がなければ今もなくなるのでバランス重視で。


一つ、活躍の場を見つける。

最近、学校のイベント関連で少し名が売れてきてしまってきたので、新たな活躍の場を見つけたい。いいかげんイベントから離れたい。イベントの何が楽しいのかがわかんない。というか楽しいと思えない人が作ってるからそれなりのものができちゃったんだろうけど。でもこのままいくと、また学校からあれやれこれやれ言われそうなのでいったん休業。


抱負といえど今思いついたことなので別にそれを目指すつもりは毛頭ない。(ここで既に今しか考えていないことに注目してほしい。つまり抱負を守っている。)



あ、閉会式だ。それはまた今度レヴューで。