天使と悪魔を見る。

Angels & Demons (Snys)
最悪。

原作はダヴィンチコードの原作がブームになったときに読んではいて、で、映画化するならダヴィンチコードよりこっちだな、って思ってました。映画的に盛り上がる要素がしっかり用意されているし、あと僕が好きな「時間制限」要素も盛り込まれていたので、「あーここは絶対映画にしたら面白いわ」と思いながら読み進めていました。

ダヴィンコードはそもそも見ていません。*1どう考えても映画化に成功するわけないと思ってたし、監督はロンハワードだし、で全く見る気がおきなかった。ダンブラウンの原作はラングトンが語る内容への知的好奇心と彼の緻密な構成力から面白いものとなっていたわけで、それを2時間そこらの映画にしてしまうとその2つの要素はおもっきしそがれてしまうのは当然で、面白くないのはある種自明。だってストーリーは平凡ですからね。

さすがにロンハワードとは言えこれだけの内容をつぶすはずがなかろうと、早速見に行ってきたのですが、、、

えぇーーー!!!みたいなかんじ。

面白くなるであろう要素を全てつぶしてました。もう、あーあ、としか言えないようなかんじ。特に脚本が最悪で、いじればむちゃくちゃ面白くなるところをどうしてさらっとやってしまうんでしょう、というくらいに見せ場をはずす。はずしまくる。もったいないお化けが出るくらいにはずす。アキバゴールズマンとデヴィットコープって、僕の大嫌いなお二人なのですが、ほんとに相性が悪いんだなと再確認。あれじゃあ原作読んでない人には意味不明な展開だろ、まったく。テンポを重視したが故に、語るべきことも語ってないので、物語を進ませる力が不在な状態になってる。

そして最大のミスが犯人の動機が不明確すぎること。というか、あの描き方じゃあ、そもそも動機ねーだろ。原作もすっかり忘れてしまったので全く分からなかったんだけど、4人の誘拐された有力候補者の方々はなんのために誘拐されたんだっけか。自白した動機は映画で描かれる前のことしか語ってないので、しかもその動機に4人の有力候補者がからんでた、なんてこともちっとも描かれていないため4人の候補者の方々は誘拐され損なとても可哀想な存在に。あれやんなきゃそもそも犯行がバレることなかったのに、みたいな。あー酷い。

ハンスジマーの音楽は、メロディーは全く心に残らないけど、モチーフが巧く機能してて好感。(ただジマーのやる気ない感がビンビン伝わってきて途中は苦笑モノでしたが)一部合唱等で盛り上がる曲はあって、次の目的が判明していそげーーー!!!っていうところで必ずその音楽がかかるんだけど、なんで急がなきゃいけないかも、そもそもなんでその目的地なのかも映像的に表現されるわけではない全く説得力のない展開なので、あんなに音楽で盛り上げられても逆に虚しい感じがしてしょうがないんですよね。観客だけが置いていかれているかんじというか。こういうとき、ジマーは製作陣と同調してバカ騒ぎを始めてしまう人なので、向いてないんだよな、こういう映画に。(ジェリーゴールドスミスなんかは割と冷徹に映画を俯瞰しつつも、観客視点で音楽をつけていたのでどんなに説得力のない物語でも彼の曲があればそれなりの展開をしているように錯覚してしまうのですよ。)

皮肉にも音楽で大いに目立つこととなってしまった“置いていかれてる感”というのはこの映画の大きな欠陥。たしかにラングトンというキャラクターは僕らとは比にならない程の知識を持ち合わせているし、その判断に僕らの理解がついていくはずがないので、決断から観客は置いて行かれる方がむしろキャラクターの描き方としては正しいんだけど、でも、映画を見ている観客にはその瞬間、ただの直観に見えて実は頭ん中では凄まじいスピードで膨大な知識を元にロジックを組み立てていることを伝えるべきなんですよ。いや、全てを明示的に語る必要なんてないんだけれども、例えばジェイソンボーンのようにだな、次の目標の発見だとかアクションシーンの次の一手の時に、ちょっとした伏線やちょっとした「一瞥」やちょっとしたカットを暗示的に挟むだけでも説得力が全く違うわけです。そういう細かい芸当がロンハワードには無理だったのか、何も説得力を与えるようなことをしていないのでラングトンが勝手に先走ってるようにしか見えない。もっというと「たまたま運が良かっただけ」に見えてしまうのです。こうした、インテリジェンスで犯行に立ち向かうタイプの映画に説得力が欠如しているというのは最悪なストーリーテリングですよ。ほんとに。

あー、ちゃんとした人が作ったらこの5倍は面白くなった気がするよ。映画がつまんなかった人はちゃんと原作も読むように。原作はよくできてるから。

*1:当時のブログには「もちろん、横目で大人気なダヴィンチ・コードをスルーしてね。」とありました。ははは。