トランスフォーマー:リベンジを見る。

圧倒的に前作の方が面白い。

確かに映像とかスケールじゃ比じゃないくらい今回の方が凄い。ターミネーターとかスタートレックとか今年の話題作が一挙に色褪せてしまうくらいに凄すぎる。それは決してロボットたちのCGだけ(画面に違和感なく溶け込んでるのは衝撃的)じゃなくて、ほぼ実写でやってる爆発(終盤のバトルシーンはいったいどんだけ火薬使ったんだというくらい爆発のオンパレード。あんなに凄い爆破は見たことがない。)や前回以上にアメリカ軍全面協力なミリタリーなシーン(軍オタはとんでもなく興奮するらしい。)などなど、2時間30分ずーーーーっと呆気にとられるくらい、凄い。何回凄いと言っても足りないくらい凄い。燃えるシーンも前作同様しっかり用意されてるし、コメディシーンも前作比3倍くらいで劇場大爆笑なところが何カ所もある。 (シモネタ大杉だけど)

でも、何かが足りんのです。

この感覚はマイケルベイの大失敗作、アイランド/バッドボーイズ2を見た時の気分と似ています。部分的には好みのところもあるし、凄いには凄いんだけど、全体としてみると、んー、、、なんか“ノレ”ないなぁ。。。というところが。

と、思ったので確認すべく2回目を見た訳です。昼過ぎくらいに見て、その足でそのままレイトショーに向かいました。「いやこの中途半端な印象はIMAXの情報量が多かったせいじゃないか。」と自分に言い聞かせながら。 そう、僕はこの映画を川崎に出来た新しいIMAXシアターで見たのです。

IMAXは凄すぎました。初IMAXだったのですが、もうIMAXのロゴが出た瞬間に既に鳥肌。画面サイズはとんでもねーし(しかもこの後すぐに普通のシアターに行ったのでなおさらそう思った)精彩感もはんぱねーし、コントラストもやべーです。例えるならブラウン管からフルHDプラズマテレビに変わったようなかんじ。これ見たら他の劇場で見る気が失せるくらい、凄い。一見の価値あり。(ただサウンドも売りらしいんだけど、個人的にあのシアターの音のバランスはあまり好きになれなかった。)

ただ、だな、スクリーンがでかすぎ=目に入ってくる情報量が多すぎ&視野角よりスクリーンの横幅が大きい上に、トランスフォーマーは一作目以上に画面がぐっちゃぐちゃになる(ルーカス以上にぐちゃぐちゃで何を見せたいのかという意思が全く感じられない)ということもあり、もはや戦闘シーンとか何やってんだかわからんかった。

ということで、なおさら僕はIMAXのせいにしようと言い聞かせて、いつもの映画館で見ようと思い、2回目を見に行ったのです。

結果、、、感想は変わらずでした。 しかし、一つだけ気づいたことがあります。 この映画、全く緊張感がないんです。だからアクションを見ても全くハラハラできない。主人公を始め多くの登場人物が何回も命の危機に瀕するというのに。
アクションシーンのリアリティ感と没入感というのは、個人的には「ハラハラできるかどうか」にかかっていると思っておりまして、この映画には一切それがないんですな。 ハラハラしようかなぁーと思ったら考えるまでもないくらい直感的に「おいその選択はおかしいだろ」という方向に(ある程度なら気にならないし、むしろ僕はちょっとおかしいくらいの展開が好きなのですが、今回はあまりにおかしすぎ)前フリもなく突っ走り始めたり*1、過剰なまでにコメディが盛り込まれていたり、と緊張感を解く要素が多すぎて、観客がよそ見ばかりしてしまうような展開ばかりなので、「あーーーここで今俺はドキドキしたいのにいいいい!!!」と非常にフラストレーションが溜まりました。(警察とのカーチェイスなんか無意味すぎて興ざめもいいとこ。ほんとこいつはカーチェイスいれないと気がすまねーねんだな、とベイの大ファンである僕もさすがに呆れました。)

ハラハラ感というのはストーリーであったり、演出であったり、音楽であったりいろいろな要素が巧く合わさってこそのものだけど、結局そこに失敗してるんですよ。逆に言えば、前作は奇跡的にこの部分を巧く出来たが故の成功、ということだろうと僕は思っています。

そして、ハンス・ジマーがやるかもしれないと(勝手に)煽られていたわけですが、劇場で聴いている限りは特にジマーが主導的に作曲したんじゃないかというシーンは皆無でした。主題歌を取り入れたスコアはかっこよかったけど、印象的に流れるのがオープニングだけなので、なんだか中途半端な印象があります。あれだけならやらなくてよかったんじゃないでしょうか。まぁ、シナリオ上、NESTが活躍するシーンがオープニングしかないのでしょうがないっちゃしょうがないのである意味シナリオのせいでもありますが、せっかくなんだからラストバトルでもっと活用してもよかったのでは。
で、相変わらずジャブロンスキーはジャブロンスキーのままで、終始弱々しいオケで残念でした。なんだか前作のスコアをそのまま使ったんじゃねぇか(特にラストバトルのバンブルビー活躍シーンは1の市街地戦のオプティマス登場シーンとほぼ同じスコアな気がする。まぁ、これは監督もしくは編集のせいかもしれないのでジャブロンスキーが悪いわけではないかもしれないけど。)というシーンはちらほらあるわ、フォールンのテーマは全く記憶に残らないわ、音楽に迫力はないわで、がっかり。パイレーツなんかは作品ごとに新しいテーマが追加されてしかもそれが印象的(本来的にはテーマが無駄に増えることは好ましくないけれど)だったので毎回聴くのを楽しみにしていましたが、トランスフォーマーはどうもぱっとしない、、、映像は大進化しているのに、音楽は進化せずじゃあ、芸がないってもんってことで次回作こそハンス・ジマー先生の登板を期待しております。

というわけで非常に残念感の残る作品でした。しかし映像だけは凄いのでIMAXで見る価値は十二分にあると思います。70mmフィルム(通常の映画は35mm)で撮影されたピラッドの空撮シーン(ピラミッドを空撮したのはトランスフォーマーが初めてらしい)の凄さは正直、IMAXに行かないと分かりません。あ、ちなみに言うまでもなくストーリーはぐっちゃぐちゃです。もはや論理とか一貫性とかっていう概念があの世界にはありません。

あーしかし、残念だなぁ、、、、

*1:これに比べれば1作目の「キューブを街に隠そう」なんてのは凄く合理的に感じます。

ターミネーター4を見る。

正確には先週見たんだけども。


やたら騒々しい映画だった…。いや、騒々しい、というのは僕が使う場合、多くの場合は誉め言葉だし、きっと三年前に見ていたら間違いなく歓喜していたはずなんだけど、どうもね。

この感覚は映画版のオペラ座の怪人を見た時の感覚ととてもよく似ている。劇中ずっとフルパワーのオケでびっちりと音が詰まっている映画版のオペラ座は、見ているうちに徐々に“今音楽を聞いている”という知覚が徐々に麻痺してしまうんですよ。だからオケでジャーンとやられても全く反応できない。音は無音があってこそ引き立つものでしょうに、というのは僕がこのブログを始めたばかりのころに書いたことですが、まさにその通り。

ターミネーターもまたしかりで全編ほとんどフルパワーのアクションシーンばかりなので、中盤以降は爆発されても今さら何も感じねーよという結果に。緩急つけないとこういうことになるんだよ、という教科書のような失敗例です。

ただ見方を変えると、一つ一つのアクションシーンを個別に見るならば決して悪くない出来。そう、まさにオペラ座が奇跡のような名曲揃いだったのと同じように。僕自身はターミネーターにそれほど思い入れがないこともあり、まぁそれなりに楽しめたというかんじでしょうか。

ただ、シナリオが明らかに途中から方針転換されてるというのが見え見えで、おかげさまで焦点がぶれぶれな映画になってしまってるのはやはりいただけない。これはジョン・コナーがただの脇役だった方がずっとずっと面白かったはず。爆発に巻き込まれて記憶を失った一人の男の物語でよかったんですよ。それをクリスチャン・ベイルがかき回したばっかりに…。

ところで映画を見ててチラチラとよぎったのがフィリップ・K・ディックの短編。ディックの短編は切れ味鋭い傑作ばかりなのですが、今作とそっくりな短編(にせもの、だったかな)は僕にとってはあらゆる意味で衝撃的でした。たった30ページ程度しかないのにこんな面白い話を書けるんですか!という驚きはもちろん、作品中のオチを含めた数々のアイディアはどれも呆気にとられるくらい無茶苦茶凄くて、読後は今までにないくらいやられた感がありました。(報酬も無茶苦茶面白かったなぁ)ま、これが念頭にあるから、記憶を失った一人の男の物語でいいんじゃないかってことなんだけども。ディックの短編は無駄がないので今作の原作としてはふさわしい気もするし。


…うーん、そう考えるとターミネーター4が凄く中途半端でつまんなく思えてきたぞ…。

しょうがない、ディックでも読むか。

今日のフジテレビドラマ「BOSS」が酷い。

トランスフォーマースタートレック(しかもエイブラムス版)のオンパレード。

スコアサントラから拝借しまくり。
僕にとってはそれぞれ思い入れがあるので、オオゥジャーズとか、長寿と繁栄を。。。とか、違うことばかりが想起されて、戸惑うやら腹が立つやら。ドラマからスタートレックが聴こえてきたときは(ちょうど飯食ってたので)食ってるもん吹き出しそうになったよ。
しかしな、てめー、モノ作りしてる者のプライドとして、他の作品の音楽を平気で拝借してくるってどうなんだよ。ちゃんと作曲家つけてんだからそれで勝負しろよ。まったく。プライドのかけらもないクソ制作者だな。
この制作者チームって前の離婚弁護士でもおかしなところでリメイク版ミニミニ大作戦(ジョンパウエルのやつ)を使ってたりしてたし、監督か音効がスコアマニアなんだろーな。

まぁオリジナルで勝負しろつっても、このドラマについてるオリジナル音楽の中には、明らかに「ジョーカーのテーマ」(ダークナイト)のパクりがあるし、いいかげんにしろよという代物。

これはたぶん作曲家というよりかは監督がカスだからテンプトラックつけまくったのが原因だろーな。いっぱしのサントラマニアなら、自分のドラマにスコアマニアもうなるようなスコアつけようとは思わないのかね、あぁ情けない。

あと作曲家もいくらテンプトラックつけられようが、少しばかりのプライドと自分の才能への自信があるなら、2001のアレックス・ノースジャイアント・ロボの天野正道くらいの意地を見せてくれよ。それこそプロの作曲家ってもんだろうに。

スタートレックを見る。

STAR TREK (2009)
今年1番のデキ。(僕が見た中で。)

J.Jは監督としての才能が特に秀でているというわけでもなく、そして独創的なものを撮れる人でもなく、つまり監督として天才かというと、そうではない、と僕は思います*1。ただ、彼は観客が見たいものが何かを知っている、つまりプロデューサー=仕掛人としては、まごうことなき天才。

冒頭からハイテンションの宇宙戦、既視感ありありの(これ褒め言葉)危機につぐ危機、今まで映画で何度語られてきたか分からない(表面的には)駄目人間のサクセスストーリー、そして性格真反対同士の間に反発しあいながらも徐々に芽生える友情、、、
ハリウッドのおいしいとこだけ抽出してしまったような映画。カレーライスのような嫌いな人ほとんどいねーんじゃないのみたいな料理をドーンと出されてしまったような気分です。序盤〜中盤あたりで僕の好きすぎる展開が山ほど襲ってきて、あまりの嬉しさに涙を浮かべたくらいでしたよ。が、故に中盤以降の息切れと無駄の多い展開(モンスターに襲われるシーン絶対いらねーだろ。)、終盤の引っぱりの弱さが悔やまれるところではある*2のですが、総じて水準以上のデキで満足でした。

スタートレックの音楽といえばゴールドスミス作のテーマ(要はTNGですね。)という僕にとっては、リアルタイムで見てた世代の人たちが鳥肌がたつというラストにはあまりピンとこなかったのですが、音楽のレベルは高く、また、最近の映画にしては珍しく音楽の聴かせどころもしっかり用意してあったので、久々に映画音楽を楽しむことができました。テーマ曲を試聴した際にはあまり好きにはなれなかったんだけど、タイトルコールであんなに高らかと鳴らされてしまって、その時点でノックアウト。その後もことあるごとにメインテーマがいろんな形で繰り返されるので、しっかりと心に残りました。映画館出た後にテーマ曲を口ずさめる映画も最近は少ないですし、こういう作品は今となっては貴重です。惜しむらくは、テーマ曲以外に心に残る曲(バルカン星人のテーマなんて全く面白くない。)がないのと、宇宙の雄大さやカークの心情は感じられるものの、未知の世界への冒険のワクワク感がない、あたりかな。ゴールドスミスのTNGのテーマや、テレビ版のVoygerのテーマなんかは雄大さと未知への好奇心/冒険へのワクワク感が巧みに表現されていて、それはそれは素晴らしいテーマなのですが、それに比べると作曲家としての実力の違いか、はたまた経験の違いか、正直劣っていると思います。ただ、オーケストレーションは非常によかったので、次回、これをどう料理するか、期待しております。

・・・といろいろ良かった要素を挙げてはみましたが、この映画をただの素晴らしい映画から驚異的な映画に変えてしまっているのはこれらだけ、ではないのです。それは、テレビシリーズを下敷きとして生かしながら新しい設定をどうつじつまをあわせて語っていくのか、というところ。「あーーこの手があったか!!!!」と、世界中のテレビ・映画関係者は悔しがっているんじゃないでしょうか。僕も関係者ではないですが、心底やられた、ともはや降参です。この設定を考えだせただけでも賞賛ものだと思います。自分のやりたいようにやりたいし、トレッキー向けに作るとセールスには限界はあるしと思いつつも、30年ほど続くテレビシリーズのファンを怒らせたら元も子もないし、うーん、、、という非常に悩ましいところを、両立させてしまうという完璧な離れ業をやり遂げてしまっているのです。これでファンには「これからはこういう経緯で新しいシリーズが続くからよろしくね」としっかり仁義をきったし、初めての観客には「スタートレックってこういう映画だから。面白いでしょ?」とそしらぬ顔でしっかりと鮮烈な印象と共に新スタートレックを見せた。

考えれば考える程、エイブラムス、やはりプロデューサーとして本当に天才だよ。LOSTはさすがにいい加減にしろと思うけど、こればかりはやられた。僕の負けです、ごめんなさい。

*1:プロデューサーとしての権限がエイブラムスよりトムクルーズの方が強かったであろうM:i:3が良い例。平凡な作品で語るべきところが一切ない映画でした。

*2:考えてみるとやっぱりスターウォーズEP4のデス・スターの戦いは素晴らしいんだよなぁ、、、あの"溝”でひっぱるだけ引っ張った後のハン・ソロの登場とか、レーザー発射準備と平行で描かれる砲撃成功→逃亡の息の詰まる展開とか、、、って考えてみたら赤色物質ことブラックホールがなんだかデス・スターに思えてきた。重要人物の星が破壊されるのが最後の展開への伏線になってたりとか、、、カークは言うなればルークの不良版か?うーん、、、

土壇場でハンスジマーに交代??


2年間待ちこがれていた続編の公開が迫っておりまして、僕としては楽しみで楽しみでしょうがなくて、6月まではこの映画のために生きようと思っているくらいです。

で、ここで飛び込んできたのが追加音楽としてハンスジマーがアサインされたらしい、という情報。実際IMDBには既にAdditional Musicとしてジマーの名がクレジットされており、情報の信憑性は増すばかり。いろいろ見る向きはあるだろうけど、僕はジャブロンスキーの音楽をあまり気に入ってないので、この措置は歓迎しています。どうもジャブロンスキーの芯のない、パンチのないオーケストレーションはあの映画には合わない気がしてならんのです。トランスフォーマーこそ映画と一緒になって「バカ騒ぎ」をすべき映画なので、だからこそハリウッド一のバカ騒ぎ野郎のジマーがやるべきだと前作のころから思ってました。

そもそもジャブロンスキーの曲は素直すぎて個人的には好きじゃないのです。ジャブロンスキーはたぶんとても性格のいい人であることは曲からして分かるのですが、その分基本的に直球かつ単調なので面白くない。一方ジマーは恐らく性格は最悪なんだろうという感じが曲からビンビン伝わってきます。

ただ、どうジマーがどう関わっているのか、が問題。土壇場でジマーによる追加メロディーといえばザ・ロックが思い出されますが、あーゆー中途半端な関わり方やめてほしい。できればメロディーだけじゃなくて根本的な音作りから関わっていてほしいなぁ、、、

とりあえず、来月が、本当に楽しみ。

天使と悪魔を見る。

Angels & Demons (Snys)
最悪。

原作はダヴィンチコードの原作がブームになったときに読んではいて、で、映画化するならダヴィンチコードよりこっちだな、って思ってました。映画的に盛り上がる要素がしっかり用意されているし、あと僕が好きな「時間制限」要素も盛り込まれていたので、「あーここは絶対映画にしたら面白いわ」と思いながら読み進めていました。

ダヴィンコードはそもそも見ていません。*1どう考えても映画化に成功するわけないと思ってたし、監督はロンハワードだし、で全く見る気がおきなかった。ダンブラウンの原作はラングトンが語る内容への知的好奇心と彼の緻密な構成力から面白いものとなっていたわけで、それを2時間そこらの映画にしてしまうとその2つの要素はおもっきしそがれてしまうのは当然で、面白くないのはある種自明。だってストーリーは平凡ですからね。

さすがにロンハワードとは言えこれだけの内容をつぶすはずがなかろうと、早速見に行ってきたのですが、、、

えぇーーー!!!みたいなかんじ。

面白くなるであろう要素を全てつぶしてました。もう、あーあ、としか言えないようなかんじ。特に脚本が最悪で、いじればむちゃくちゃ面白くなるところをどうしてさらっとやってしまうんでしょう、というくらいに見せ場をはずす。はずしまくる。もったいないお化けが出るくらいにはずす。アキバゴールズマンとデヴィットコープって、僕の大嫌いなお二人なのですが、ほんとに相性が悪いんだなと再確認。あれじゃあ原作読んでない人には意味不明な展開だろ、まったく。テンポを重視したが故に、語るべきことも語ってないので、物語を進ませる力が不在な状態になってる。

そして最大のミスが犯人の動機が不明確すぎること。というか、あの描き方じゃあ、そもそも動機ねーだろ。原作もすっかり忘れてしまったので全く分からなかったんだけど、4人の誘拐された有力候補者の方々はなんのために誘拐されたんだっけか。自白した動機は映画で描かれる前のことしか語ってないので、しかもその動機に4人の有力候補者がからんでた、なんてこともちっとも描かれていないため4人の候補者の方々は誘拐され損なとても可哀想な存在に。あれやんなきゃそもそも犯行がバレることなかったのに、みたいな。あー酷い。

ハンスジマーの音楽は、メロディーは全く心に残らないけど、モチーフが巧く機能してて好感。(ただジマーのやる気ない感がビンビン伝わってきて途中は苦笑モノでしたが)一部合唱等で盛り上がる曲はあって、次の目的が判明していそげーーー!!!っていうところで必ずその音楽がかかるんだけど、なんで急がなきゃいけないかも、そもそもなんでその目的地なのかも映像的に表現されるわけではない全く説得力のない展開なので、あんなに音楽で盛り上げられても逆に虚しい感じがしてしょうがないんですよね。観客だけが置いていかれているかんじというか。こういうとき、ジマーは製作陣と同調してバカ騒ぎを始めてしまう人なので、向いてないんだよな、こういう映画に。(ジェリーゴールドスミスなんかは割と冷徹に映画を俯瞰しつつも、観客視点で音楽をつけていたのでどんなに説得力のない物語でも彼の曲があればそれなりの展開をしているように錯覚してしまうのですよ。)

皮肉にも音楽で大いに目立つこととなってしまった“置いていかれてる感”というのはこの映画の大きな欠陥。たしかにラングトンというキャラクターは僕らとは比にならない程の知識を持ち合わせているし、その判断に僕らの理解がついていくはずがないので、決断から観客は置いて行かれる方がむしろキャラクターの描き方としては正しいんだけど、でも、映画を見ている観客にはその瞬間、ただの直観に見えて実は頭ん中では凄まじいスピードで膨大な知識を元にロジックを組み立てていることを伝えるべきなんですよ。いや、全てを明示的に語る必要なんてないんだけれども、例えばジェイソンボーンのようにだな、次の目標の発見だとかアクションシーンの次の一手の時に、ちょっとした伏線やちょっとした「一瞥」やちょっとしたカットを暗示的に挟むだけでも説得力が全く違うわけです。そういう細かい芸当がロンハワードには無理だったのか、何も説得力を与えるようなことをしていないのでラングトンが勝手に先走ってるようにしか見えない。もっというと「たまたま運が良かっただけ」に見えてしまうのです。こうした、インテリジェンスで犯行に立ち向かうタイプの映画に説得力が欠如しているというのは最悪なストーリーテリングですよ。ほんとに。

あー、ちゃんとした人が作ったらこの5倍は面白くなった気がするよ。映画がつまんなかった人はちゃんと原作も読むように。原作はよくできてるから。

*1:当時のブログには「もちろん、横目で大人気なダヴィンチ・コードをスルーしてね。」とありました。ははは。

Cirque du Soleil 『 Mystere 』

シルクについてはいつか書こうと思いつつも、なかなか自分の中でまとめることができなくてここまできてしまいました。正直言うと、現状でも自分の中では完全にまとまりきっているわけではないのですが、つらつらと今考えていることを書いてみようと思います。

僕がシルクを最初に見たのは、高校生の頃でツアーショーのキダム、でした。記念すべきキダムで僕はシルクにフォーリンラブ、、、な衝撃的な邂逅であればよかったのですが、むしろ逆で僕にとっては拒絶反応しかなかったことを記憶しています。いや、なんていうか、ショー中に僕寝ましたし。(高校の帰りに行ったから眠かったのさ。)当時の僕は非エンターテイメント(=難解で理解しがたい抽象的な世界観をもつ創造物/当時の僕の定義)をものすごく毛嫌いしていたので、拒絶反応も当然と言えば当然か。今から考えてみれば難解で理解し難い抽象的な世界観、なんてフランコ・ドラグーヌの最も得意とするところ、なわけでね。

そして時が過ぎること、約5年。
僕は気づけば、フランコ・ドラグーヌにぞっこんな状態になっていました。

キッカケはといえば、ラスベガスのO、、、と言いたいところですが、Oを初めて見たときはあらゆるエンターテイメントを見まくってた時だったので、かえって衝撃が薄くなってしまっててあまり印象に残りませんでした。(旅行の終盤だったので疲れもピークだった。)ただ、ラスベガスで見たことによって、高校生の頃にあった拒絶反応は全くなくなりました。シルクすげーな、かっけーな、と、純粋に思ってましたので。

実は、僕にとってシルクにハマる原因はフロリダのLa Noubaだったのです。これってけっこうレアケースなんじゃないかと個人的には思ってます。まぁこれにはラスベガスの後に見た東京のZEDで「うーむ、舞台の作り方(=人の配置)が面白いなぁ」と思っていたことが下地というか前フリになっているのですが。(O見たときに気づけよって話ですが、ご存知の方はご存知の通りOは視覚の情報量が異常に多く、また前述のこともあり僕は情報を処理しきれていなかったようです。)で、ちょうど舞台の作り方への関心がピークになっているときに僕はLa Noubaに出会ってしまい、それはもうドンピシャに僕の欲求を満たしてくれるものだったのです。La Noubaってセットにあまり金かけてない一方、腐ってもレジデントなので箱はしっかりしてある。だけに人の動きで如何にこのステージを魅せていくのか、というところに目がいきやすかったのです。

そっからというもの、僕はシルクにどっぷり。いや、それ以上にフランコ・ドラグーヌにどっぷりになってしまいました。

La Noubaを見たのが昨年の夏、それ以来La NoubaのDVDは何回見たことか。何とも表現し難い世界観とステージングの巧みさ、そして何よりあのかっこよさ!!スカしてるかんじがむちゃくちゃかっこいい。というわけでそっからは毎日の通勤にはシルクの音楽が共にあります。(特にBenoit Jutrasが好きです。)

で、シルクブームがやってきた、ということでつい先日ラスベガスまで行っちゃったのです。

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今回見たのはMystere 、O、 Ka。と、Le Reve。OとKAは2回目。
これでだいたい、シルクのメインストリームにあるレジデントショーは見たことになるとは思うのですが、結論から言えば、

Mystere = O > La Nouba >>>>>>>>(フランコ・ドラグーヌの偉大さの壁)>>>> ZED >>>KA

です。KAの位置はかなり賛否両論というか異論がありそうですが。

僕にとってMystereがナンバーワンなのは、やはり、Cirque du Soleilという団体がそもそもサーカス集団だ、ということであることに起因しています。決して彼らは演劇集団ではない。言うなれば新しい演出手法を取り入れたサーカス集団であり、サーカス的な手法を取り入れた演劇集団ではないのです。そういう意味でしっかりサーカスを行っているMystere、La Noubaはやはり別格。中でもMystereが一番な理由として、技の難易度が高いだけでなく、最も“サーカスというものをどう魅せるか”というところに苦心していて、そしてそれについてかなりの部分で成功している、ということが挙げられます。

サーカスの技をどう引き立たせるか、それこそがシルクの演出家に課された最も大きな責務のうちの一つなのではないかと思います。
La Noubaを見たときも思ったのですが、技によってはだだっぴろいステージの中でぽつんとしたかんじでやらなければならないこともあるわけで、それを如何に寂しくなく、ショボくなく見せるかというのは技を引き立たせる上で大事なポイントになってきます。Mystereはそれについてセットだけに逃げることなく、セット、人、音楽、照明とステージにあるあらゆる要素を使って技を引き立たせていることに成功している。
僕が数あるシーンの中で最も感銘を受けたのはチャイニーズポール(ZEDでは最も退屈なシーンの一つ)の魅せ方。ステージの中心にはポールがたてられて技の準備が進んでいる中で、ステージの後ろに横一列にずらーっと並んだポールが上から降りてくるというシーン。言っちゃあなんですが、正直、チャイニーズポールはあまり面白い演目ではない。動きも限られているからダイナミックさもないわけで。しかし、だ。Mystereが凄いのは、真ん中で技が進められている間に、後ろの横一列のポールでちょいちょい横一列に整列して技を一緒にやるところ。それだけで、一挙にステージが広がって、真ん中で行われている技にダイナミズムが出てきてしまうから、なんとも不思議なもの。また、真ん中(=引き立たせたい方)で大技をやるときは、ぴたっと後ろの動きが止まるので、その瞬間にステージの緊張感が高まるのです。一瞬にして。これって演出の基本技ではあるのですが、ステージングが巧い人ではないと主役とは関係のないところで人を巧く動かすことなどできないんですよ。
このように演出面が優れてるのみならず、Mystereはショーとしてもすこぶる面白い。技が面白いのはもちろんなのですが、まだCirque du Soleilの評価が定まる前ということもあってか、ショーとして荒削りなところもあると同時に全体に外連味に満ちあふれていて、ごった煮感というか出来る限り最大の力を注ぎ込んで作っちゃいました!どうよ!!みたいな形容し難いパワー、イケイケドンドンな勢いがあります。他のレジデントでは王者たる余裕がショーから感じられるのですが、Mystereには余裕がないんですよ。それ故に他のレジデントにはないパワーがビンビンと伝わってくるのです。このショーはフランコ・ドラグーヌにとってベストの一つだろうし、シルク常連のクリエイターたち、ルック・ラ・フォーチュンやBenoit Jutrasにとってもベストの一つ。Oも素晴らしいですが、Mystereのほとばしる若気の至り感がやっぱり最高です。

コメディがすこぶる面白い(シルクで最も爆笑した。)とか他にもMystereの良いところを挙げていくときりがないのでこのへんでやめますが、それだけMystereはすばらしいショーだと僕は思います。OやKAのせいでシルクのことを「セットがあってなんぼな劇団」的な何か取り違えている人からは「つまらん」的な意見が多いのですが、それは大いなる間違いだし、Mystereの溢れんばかりの魅力、ここでしか得られない魅力を大掛かりなセットがないからとスルーしてしまうのはとてももったいないことだと思いますよ。(そもそもMystereを見ないでシルクのレジデントを語っている人がたまにいますが、何考えてるんだろうと思いますよ。)
個人的な話で恐縮なのですが、就職活動中にフジテレビの(あえて明言しますが)大物プロデューサー(番組名挙げればえー!!となるくらいの)と直接話す機会があって、どういう経緯かは忘れたのですが、たまたまシルクの話になって、「OとKAはすごいよー」みたいな。そのとき僕は見たことなかったので伝え聞いた話として「ショーとしては0、サーカスとしてはMysterらしいですね。」みたいなこと言ったら「Mystereねぇ、、、」みたいな微妙な反応をされた記憶があります。今なら言える、あんた本質が何も見えてないってね。
この話はなぜKAが最低評価なのかというところにもつながるのですが、やはりCirque du Soleilはサーカス集団なんだというところに尽きる。シルクをシルクたらしめるものはサーカスなのです。ZEDの演出家はその本質を見抜いていた一人で、インタビューでこんなことを言っていました。「シルクのショーを全て見たが、一つ気づいたことがある。それは、シルクの目的はストーリーを語ることではないということだ。」そう、ストーリーを語ることも、演出も音楽もセットも、、、サーカス技以外の何かがシルクにとってトッププライオリティであってはならない。あくまで全ては技の引き立て役でしかないんだ、と僕は心から思います。


だから僕はKAが嫌いなのです。セットとストーリーを引いたら、KAには何か残るものがありましょうか。


そして、だからこそMystereがシルクのレジデントで最も優れたショーだと僕は思うのです。


、、と、他にもOとかZEDのこととか書きたいことはたくさんあるのですが、Mystereだけでこんなになってしまったので、続きはまた今度。KAのこともちゃんと書かなくては。